お茶漬けのしみとふるーつ寒天

お手紙風ブログ。それから本と映画、デザイン、アートとなんやかんやを赤裸々に。

『最強のふたり』ファンキーな青年と孤独な老人の成長ストーリー

社会的にカーストの下位にいて、それでもファンキーに生きる黒人ドリスと、
身障者で少し偏屈な富裕層の男性フィリップの物語。

フランス映画らしい、美しい情景描写と音楽と、
その中に盛り込まれるドリスの口から溢れる下品なジョークとの相性が
不思議な魅力を醸し出していたように感じた。

作中でドリスが描いた絵に対して、
穏やかな中の衝動性
という言葉が使われている。
それは、ドリスが前科者であり、
しかしフィリップの介護を引き受けるという穏やかさにも通ずるのかもしれない。

フィリップは、自分の元にやってくる介護従事者を次々と解雇する。
しかしドリスのことは解雇しなかった。
なぜなら、ドリスはフィリップに
「同情していない」
からだ。

普段私たちは身障者や障害のある人には気を遣って接する。
しかし、それは健常者と同等に扱っていないということだ。
それは相手を健常者と障害者として区別しているということで、
同じ立場としてはみていない。
「普通」とは区別、悪くいえば差別化している。

しかし、ドリスはそんなことは気にかけない。障害者として認識してはいるが、
障害者であることは悪いことではないという態度でフィリップに接している。

そして、ドリスも同様に、
前科者として
「普通」のボーダーから外れる存在だった。
しかし、フィリップはそんな
「普通」から外れているという点が
自分と似通っているドリスを受け入れる。

フィリップは、それまで孤独だった。
妻に先立たれ、養子の娘とは距離があり、身障者であるため、同じ目線で接してもらえることが無い。
距離の近い者が傍にいなかった。

ドリスは、そんな距離を、持ち前の破天荒さで物ともせず突き破る青年だった。
失礼ともいえる態度ではじめは接していたが、それがフィリップは気に入ったのだろう。
心の中に土足で踏み入るくらいの方が、
不器用なフィリップには合っていたのかもしれない。
フィリップが破天荒なドリスと時間を過ごすうちに、少しずつ同じように破天荒になっていく様子が若返っているようにも見えた。
葉巻を吸ったり、
夜中にカーチェイスをしたり、
全身麻痺の原因であるパラグライダーをしてみたり。
そして、文通相手と直接会うことまで。
文通相手と会うことを仕組んだのはドリスだ。

ドリスはフィリップと接するうちに次第に礼儀を知り、
フィリップはドリスに影響され自分の力で主体的に人生を楽しもうとするようになった。

ドリスは無職で失業手当を貰うことで生活する奈落者だった。
しかし、フィリップに出会ったことで職を得、そしてフィリップに促され血縁関係の無い母親と復縁する。

フィリップは誰のことも受け入れない、文通相手と会うことさえ躊躇う
偏屈で孤独な老人だった。
しかし、ドリスと出会うことで人生を楽しむ道を自ら歩みだした。

ドリスの、スラム街の中のような暗さの中にいながら底抜けに明るい精神が、フィリップの孤独に光を当てたのだと思う。

これは、立場の違う者同士の互いに知らない世界を見ることで成長しあった、
最強のコンビ物語だった。