お茶漬けのしみとふるーつ寒天

お手紙風ブログ。それから本と映画、デザイン、アートとなんやかんやを赤裸々に。

表象と社会心理

「代表されるもの」と「代表するもの」で構成される政治も表象のひとつである。ここで問題となるのが民意がゆがめられて表象されることがあるということである。例えば選挙では議席と票数の間にずれが生じることがある。

世間一般の意見、または多くの人が共有する意見である世論は西洋のコーヒーハウスを起源とする。のちにカフェ、サロンなどでも意見交換されるようになった。

メディア(medium)とは媒体という意味である。媒体とは仲立ちをするもの、つまり現実とわたしたちをつなぐのがメディアである。

メディアは社会を反映する。だから時代によって伝える内容が異なる。特定少数の発信者から、一方的かつ不特定多数の受け手へ向けての情報伝達の手段がメディアである。新聞、雑誌、ラジオ、テレビなどである。

ジャーナリズム(=報道)とは、ニュース・出来事・事件・事故などを取材し、記事・番組・本を作成して広く公表・伝達する行為である。

ジャーナリズムとメディアの違いは、ジャーナリズムは、内容(真相)のことに重点を置き、マスメディアは、それを流すことに重点を置いている点である。

メディアにおけるクロスオーナーシップとは、新聞社が放送業に資本参加するなど、特定資本が多数のメディアを傘下にして影響をおよぼすことである。

クロスオーナーシップの問題点は、人々が一面的な視点になってしまうことである。

我々の社会は安全かというと、体感危険度のみが上昇し、数値的には事件数が減少しているのが事実である。世論調査は、誘導尋問でゆがめられてしまっているのだ。

そのため、この時代においては自分の価値観、信念をしっかり持つことと、固有の視点を一人一人がもち、多面的な見方で問題を見つめることが大切である。

多くの人が同じ価値観を共有すると社会統合の促進、統治の正当化が行われる。単なるマスメディアの意見や願望がアナウンスされ、世論操作されるのがよい例である。ベトナム戦争でアメリカが敗戦したのはペンタゴンペーパーズやニューヨークタイムズ紙の力が大きかったためといえる。

世論は知識をもつ関心層、他に追従する中間層、知識をもたない無関心層に区分できる。だから世論調査を鵜呑みにしてはならないのである。報道は中立公正であるべきである。

戦争体制下では言論体制の一元化がおこなわれていた。講義では、中央公論社石川達三の『生きている兵隊』を取り扱った。この小説では検閲による伏字、また発禁が行われた。それによって南京大虐殺の事実が隠され表象されないという問題があった。くわしくいうと、情報操作により、知らないことをしらない、気づけない状態もしくは知らないことを知っている状態になることである。そうするとあきらめの感や口にしてはいけない、いわゆるタブーが社会に広まり、無力感社会が構築されてしまう。

また、講義では水爆大怪獣映画『ゴジラ』を扱った。敗戦からほどない時期であるということはもちろんだが、冷戦と核開発競争、朝鮮戦争、すでに始まった日本の再軍備など、当時の日本を取り巻く状況は戦争への危機感を募らせるに足るもので、それが反映されているといえるだろう。「ゴジラ」が核批判をもとにした作品であるという評価は定着しているが、核をも含む「反戦」の思想を見出すべきであろう。

なお、ゴジラオキシジェンデストロイヤーという秘密兵器によって最期を遂げる。「水爆大怪獣」を超越する兵器の登場は、あたかも核抑止論のような発想である。その後の世界の流れを予見していたかのように思えてならない。

また、この映画には戦後の女性表象が登場する。戦後の女性解放により自由恋愛ができるようになった女性、政治で活躍できるようになった女性が本編にはでてくる。女性は公私ともに自由になったのである。

また、人を救うために正当化される発明品や、原子力エネルギー開発の問題も浮上する。

原子力発電に関しては、教科書問題を講義では扱った。国や電力業界は七十年代後半から一般大衆向けの原発PRを本格化させ、そのターゲットの一つとなったのが子供だった。

また、電力業界は漫画家ともつながりをもった。しかしその中で手塚治虫は自身は原発反対派なのにもかかわらず、漫画を無断利用された。手塚はまた鉄腕アトムに関しては「ひたすら進歩のみを目指して突っ走る科学技術が、どんなに深い亀裂や歪みを社会にもたらし、差別を生み、人間や生命あるものを無残に傷つけていくかを書いたつもりです」と言っている。

 また小中学生向けの教科書は公正さに課題があるとされる。

 表象がいかに広まるかは経済にかかっている。

 現代美術(=COMTEMPORARY ART)とは、その時代における出来事をアートで表現することである。