お茶漬けのしみとふるーつ寒天

お手紙風ブログ。それから本と映画、デザイン、アートとなんやかんやを赤裸々に。

生と死のはざまで

拝啓 冥界のあなたへ

今日はドライフラワーを作った。
花瓶に挿してあった枯れかけの花を吊るし上げて、
まさに死にかけからの黄泉がえり
といった感じ。
枯れかけの状態から、美しいといって飾られる。
吊るし上げて逆さまにしたら蘇るというのも不思議だ。
普通は死んでしまうのに。

人間もそうだったらいいのになんて思う。

前置きはこれくらい。ここからは芸術家の話について妄想したことのあれこれを綴る。

頂点にいるアーティストは狂ってたり気分の上下が激しかったりして
苦しみながらその地位を手に入れているというイメージだから、
そんな神聖なものに簡単に「なりたい」とは思ってはいけないんだと感じている。

少しの変人ぽさという名の個性だけ持ってればいいんだと思う。
そうしないと壊れてしまう。
いくら生と死の狭間で揺れるエネルギーに惹かれても自分がそれになろうとすることは自身で自己を破壊することだと思ってる。

精神病理を本当に理解するということは、精神病理的な体験をしているということ。
自分をその世界に没入させるということ。
実際に体験しなくても、仮想的に体験するということ。
普通の人がそれをすれば痛みを理解して苦しむ人に対して優しくなれるかもしれないけど同時に共感しすぎて自らも病むということ。
そうなったらもう共倒れで救いようが無いから、自分のことが人間は一番大事だっていうのは正しいんだ。
そういう場面においては、の話。
死んでしまえば何もかも終わりだし、救いたい人や話したい人、もっとふれあいたい人がいたとしても出来なくなる。
相手だって会えなくなる。
自分の世界には何も無いし見ることも叶わないけど、おいてきぼりにした世界は流れ続けるし変化もある。
良くも悪くも。
そういう風に考えると無責任なことは出来ないし不安になるから死にたくないなって思わない?

正直、自分の死後に恋人が他の人とイチャイチャしてたら
なんだ、私のこと好きじゃなかったんだ、
とか一瞬でも嫉妬するんじゃないかと思う。
本当に恋人のこと好きなら。
好きだから許せるような美しい人間にはなれない。
時間が経たないと許せない。
冥界の人間ではないからよくわからないけれど。

かしこ