お茶漬けのしみとふるーつ寒天

お手紙風ブログ。それから本と映画、デザイン、アートとなんやかんやを赤裸々に。

プリズムカラーカメレオン

わたしは透明であるより

色のついた透明

でありたい。


透明とは

ありのままで純粋であること、

色のついた透明とは
そうでないことであるが、
不純
とは若干違うものである。

不純とは
他のものと混じった好ましくない状態、
マイナスのイメージを持つが
色のついた透明は違う。

色のついた透明は

他のものに染まっているが純粋

なのである。

 純粋であることは
正であるかもしれないが

時に生き苦しさを生むことがある。

純粋、いわば「ありのまま」であるが
そのようでありすぎると他との協調性を見失ってしまう。
孤立してしまう。

 だからわたしは
他の色をプリズムのように反射して、
自分の中に取り入れながらも純粋である

色のついた透明

でありたいと願う。

これは
他人に協調しながらも自分の考えは見失わない人間
になりたいということだ。

 自然界から例えを挙げてみよう。
夏の日に
あなたは
きらきらと光る小川を見る。

小川の水は碧い。
碧くてきれいだ。
碧いが元々は

透明

である。

光を反射して
きれいに見えるという訳である。

そして冬の日は
ちらちらと光る雪の結晶
が目にとまる。
結晶も白いが
光でそのように見えるのだ。

 これらは元々透明であるが
光を受けて
色を持ち美しく輝いている。

わたしは、

人間もそうあるならばいいと思う。

 純粋であることは
傍目には美しく健全で気高く生きている
ように見える。

が、しかし現実はそうではないことが多々ある。
例えばありのままでありすぎるが故に
周囲との考えの不一致から衝突してしまったり、
そのことで自らの「正しさ」に迷いが生じ、
思い悩み終には自閉してしまったりといったことだ。

 わたしはこのように自分で自分を追い詰めるくらいならば、

周りの考えに染まるのも悪くないと思う。

自分の意見は持つ。
持つが主張しすぎない。
他の意見に同調するときは同調すればよい。
自分の信念を揺るがせることとは少し異なる。

自分の意見を他に聞いてもらい、
他の意見も受け入れる。

そのうえで
双方の長所と短所を見極め、和解すること
ができればよい。

 人間はみな違う生き物なので
違って当然である。

自分と違うことを批判するべきではない。

自分とは違うのだ、
こういう人もいるのだなと
やんわり受け入れて
あまり気にしないのが
良い人間関係を築く上で大切だ。

わざわざ批判する必要のないことを
批判するのは幼稚である。

何が正常で異常かということを、
細かいところまでつきつめようとするのも、
その行為自体が異常であると
わたしは言いたい。

 不純というのは

純粋、純真でなく混じりけのあること
である。


わたしはこれを本音と建て前が葛藤し、
建て前が勝っている状態
であると解釈する。

ここでいう「建て前」には、
マイナスのイメージがある
と解釈していただきたい。

例えば、
自分の利益のために、
本音では好きでもなんでもない、
もしかしたら嫌いかもしれない人と
建て前で仲良くするというようなことだ。

 わたしは仕事などでは
こういったことは必要だと思うが
プライベートでは
このような人付き合いはしたくない。

 「不純」

「色のついた透明」
との違いは、
前者は相手を建て前で受け入れているが、
後者は本音で受け入れているという点にある。

 色のついた透明であると良い影響を受ける。


自分とは違う世界に触れ、
感化され、
新しい自分が見えてくる。
良いものを自分の中に取り込んで
その中で
自分の世界での立ち位置を模索して、

プリズムをまとって何色にでもきれいな色に変わるカメレオン

として、わたしは生きていきたい。