お茶漬けのしみとふるーつ寒天

お手紙風ブログ。それから本と映画、デザイン、アートとなんやかんやを赤裸々に。

とある憂鬱な日の夕べにのっかって遊ぶ

夕方、狭い部屋のベッドの中で薄暗闇に包まれながら本を読んだり妄想するのが好きだ。

妄想って英語で
a wild fancy
とか
a fantastic idea
っていうらしいです。面白いね。

wildにも沢山意味がある。
野蛮な、熱中した、狂気の、手に負えない、熱望して、乱れた、でたらめな。

楽しい、愉快な、素敵な
なんて意味もある。

このwildという単語が妄想のあらゆる意味を内包している気がしてとても面白く感じる。

妄想と云えば、『徒然草』の冒頭より

「徒然なるままに、ひぐらし、硯にむかひてこころにうつりゆく由無し事を、そこはかとなく書きつくればあやしうこそものぐるほしけれ。」

って文があるけど確かに思考していることを客観的に見つめてると訳が分からなくなる感じはあるね。
自分を客観的に見るって自分は主体だから主観的にどうしてもなるから出来ないことだから。

この文を書いていてもちょっと分からなくなってきた??

でも自分のことを見つめてみるって作業はとても大事なことだと思っている。
こうして目に見えるかたちにすることで理解しやすくなるし、自分のダメなところだったり逆に長所みたいなところを掘り出せたりするから。

考えすぎは良くないけど。客観的に自己を見つめるのは自分を突き放して考えることだものね。

また、自分の世界に閉じこもってその中で生み出した思想やもやもやを、絶対的に正しいとは思っちゃいけない。

人が一人で生きていけない理由はそこにあると思う。人間が好きでありたいよね。

世の中人の数だけ考えがあるし、状況などによって色々判断は変わる。
何が絶対正しくて間違いかということは安易に判断するのは怖いことだと思う。

戦争をすることが悪なのは世の中の常識。だけど、紛争地域では「聖戦」なんて言葉がある位だから、悪だと必死に信じていたいことが、違う場所の現実をみつめると正とされていることは実は当たり前のようにあって、息を潜めている。

判断や決断が必要とされることは多々あるのだけど、色々な未来への可能性を残すのもアリといえばアリだと思う。
臨機応変な使い分けが大切になってくるのかも。
白と黒、イエスかノー、正か悪、好きか嫌いか……の2択しか持ち合わせていないような、余裕が無くて視野の狭い考え方は、私はそれほど好きじゃない。しっくりこない。

文章や作品といったものの類は自己表象にあたる。こんなこと書くとこんな謎の文を書いている私がコムズカシイ奴、なんて思われそうだけどそんなことは無い。
多分皆んな同じようなことを考えることはあるけど黙ってるだけだ。

さいごに。
ここで私が今日の妄想、とか言いながら滑稽な話を披露したら面白いけど思いつきません。
ごめんなさい。

代わりに『笑う英会話』より、妄想してるっぽい一文をお届けします。

"The old man said the girls on the beach were a feast for the eyes."

「老人は海岸にいる女の子たちは目の保養だといった」

…ハイ。

夕方って明かりが少なくなるしもうすぐ1日が終わるなって思うからなんとなくメランコリーになりがちだけど
有意義な、もしくは楽しい妄想をしていたいなと思った。