お茶漬けのしみとふるーつ寒天

お手紙風ブログ。それから本と映画、デザイン、アートとなんやかんやを赤裸々に。

「vanity in the innocent utopia」作品と解説

「vanity in the innocent utopia」
純潔な理想郷の虚

夏目漱石の『夢十夜』、
ラファエロ前派の「オフィーリア」
の世界観をオマージュした作品。

夢十夜』の第一夜に登場する貝は
女の墓を掘るために使用される。
また、死んだ女の肉体からは花が咲く。

「オフィーリア」には
花に囲まれた水面に浮かぶ死体という構図がある。




これは墓場だ。

水面に浮かぶ柔らかな色彩の花々や
星のように光る銀色の砂、
花が中に閉じ込められた水晶、
真珠。
黄金色の松、
清廉な水辺。
錦のように光る貝殻。

それらは全て
今生の別れを終えた後の世界に相応しいものに思える。

完璧にしつらえられた死後の寝床。

誰もが心地よい場所であるという印象を抱くだろう。

しかし、死後の世界は美しいものであると想像することは正しいのだろうか。

その世界に一度足を踏み入れて仕舞えば、二度と元の世界には戻れない。

当然だ。

死んでいるのだから。


黄泉の国では人は身動きが取れない。
そして孤独だ。

美しいフィクションのような空間の中で魂を縛り付けられ、
一生眠り続けることは、
まさに肉体と精神の死そのものだ。

滑らかに青白い左胸。そこから伸びた真紅の花。
死を糧にして生きている。

そこではもう、自分という存在以外の何かが息をしている。

標本のように存在することしか許されない。



完全な純潔というものは、
果たして人を安らかにするものだろうか。

全く穢れなく生きることは
人間にとって不可能だ。

常に正しくあること、
常に純粋であること。
それらは人を苦しめる。

この世は綺麗事では生きられないのだ。

穢れたもの、清らかなもの。

これらが共存するからこそ、
人間としての実像が浮かび上がって来るのではないだろうか。

『最強のふたり』ファンキーな青年と孤独な老人の成長ストーリー

社会的にカーストの下位にいて、それでもファンキーに生きる黒人ドリスと、
身障者で少し偏屈な富裕層の男性フィリップの物語。

フランス映画らしい、美しい情景描写と音楽と、
その中に盛り込まれるドリスの口から溢れる下品なジョークとの相性が
不思議な魅力を醸し出していたように感じた。

作中でドリスが描いた絵に対して、
穏やかな中の衝動性
という言葉が使われている。
それは、ドリスが前科者であり、
しかしフィリップの介護を引き受けるという穏やかさにも通ずるのかもしれない。

フィリップは、自分の元にやってくる介護従事者を次々と解雇する。
しかしドリスのことは解雇しなかった。
なぜなら、ドリスはフィリップに
「同情していない」
からだ。

普段私たちは身障者や障害のある人には気を遣って接する。
しかし、それは健常者と同等に扱っていないということだ。
それは相手を健常者と障害者として区別しているということで、
同じ立場としてはみていない。
「普通」とは区別、悪くいえば差別化している。

しかし、ドリスはそんなことは気にかけない。障害者として認識してはいるが、
障害者であることは悪いことではないという態度でフィリップに接している。

そして、ドリスも同様に、
前科者として
「普通」のボーダーから外れる存在だった。
しかし、フィリップはそんな
「普通」から外れているという点が
自分と似通っているドリスを受け入れる。

フィリップは、それまで孤独だった。
妻に先立たれ、養子の娘とは距離があり、身障者であるため、同じ目線で接してもらえることが無い。
距離の近い者が傍にいなかった。

ドリスは、そんな距離を、持ち前の破天荒さで物ともせず突き破る青年だった。
失礼ともいえる態度ではじめは接していたが、それがフィリップは気に入ったのだろう。
心の中に土足で踏み入るくらいの方が、
不器用なフィリップには合っていたのかもしれない。
フィリップが破天荒なドリスと時間を過ごすうちに、少しずつ同じように破天荒になっていく様子が若返っているようにも見えた。
葉巻を吸ったり、
夜中にカーチェイスをしたり、
全身麻痺の原因であるパラグライダーをしてみたり。
そして、文通相手と直接会うことまで。
文通相手と会うことを仕組んだのはドリスだ。

ドリスはフィリップと接するうちに次第に礼儀を知り、
フィリップはドリスに影響され自分の力で主体的に人生を楽しもうとするようになった。

ドリスは無職で失業手当を貰うことで生活する奈落者だった。
しかし、フィリップに出会ったことで職を得、そしてフィリップに促され血縁関係の無い母親と復縁する。

フィリップは誰のことも受け入れない、文通相手と会うことさえ躊躇う
偏屈で孤独な老人だった。
しかし、ドリスと出会うことで人生を楽しむ道を自ら歩みだした。

ドリスの、スラム街の中のような暗さの中にいながら底抜けに明るい精神が、フィリップの孤独に光を当てたのだと思う。

これは、立場の違う者同士の互いに知らない世界を見ることで成長しあった、
最強のコンビ物語だった。

自己紹介

今更だけど自己紹介。
小説や詩、アート、ハンドメイドなどの創作活動をしています。
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RADIANTLYさんのプロフィール | ハンドメイドマーケット minne

よろしくお願いします。

「光と闇」

ディズニーランドでもなく、水族館でもラブホテルでもなく、僕たちが選んだのは廃工場だった。
宵闇の中燻る煙と、ほの明るい光。
「あなたといると、いつも寂しい気持ちになるの。一緒にいるし、充分に抱きしめてもらっているのに、自分がどこか遠くにいる気になるの。腕の中にいながら、暗闇の中足がもつれてもうどこにも行けない気になるの」
彼女が呟いた。
「それは僕のことが好きではないと言うこと?」
「そうじゃない」
星がちらちらと光る空を見上げながら、彼女は続ける。
「寂しくて満たされない気持ちになるの。好きなはずなのに」
「そう、じゃあさ」
僕の言葉を遮り彼女は続ける。
「私たちは、どこに行くんだろう。傷ついて傷つけて、それでもそれを辛いと思わないで死なないで生きてるのはどうしてだろうね」
「そうするしかないし、それだけじゃないからだよ」
そういって僕は強引に彼女の唇をふさいだ。息が止まるかと思うくらいに。

暗闇の中で僕たちは身動き出来ない冬眠中の動物みたいにうずくまっていた。
彼女の頬は濡れている。
「ほら、朝がくるよ」
僕は彼女の泣きそうな笑顔がもう一度見たくて、もう一度、今度はおはようのキスをした。

they all look the same パオラ・ピヴィ展


ペロタン東京にて。

パオラピヴィ展を観てきた。

"they all look the same"


都市を見下ろして宙に浮かぶホッキョクグマと、
クジャクの羽のついた車輪。

ホッキョクグマ
その気になれば人を襲い、捕食することが出来る
食物連鎖の上位にいる存在。

人々よりも上位でありたいという意味
を込めて見下ろすような姿勢なのかもしれない。

逆に、
人々から見世物として捉えられたりする存在、
という意味も込めて吊るされているのかもしれない。

この両義性がなんとも皮肉で、クマの表情が複雑に変化するように感じられる。
憂いか優越か。
どちらともいえない顔で六本木の街中で人々を見つめている。

動物からすると、都市に住む人々、車輪をはじめとするモノ、は

"みんなおなじに見える"

のかもしれない。

香りに揺蕩い想うこと


最近アロマオイルを買って、部屋に置いた。

‪たくさんの種類がある中から、
一つだけ自分の好きなものを選ぶというのはとても素晴らしいことのような気がするし、
選別する度に
自分というものがつくられていく気がしてとても心地よい。‬

‪部屋を暗くして小説を読みながらアロマを焚くのがマイブーム。‬

‪柘榴の香りが部屋に漂って、その中で眠りにつくのは至福の時だ。‬

私の好きなもの。
川上未映子三浦しをん江國香織長野まゆみ雪舟えま。
クリムト、ルドン、シャガール
梅干し。アボカド。海ぶどう。きのこ。
ドライフラワー。シーグラス。
空き瓶。額縁。
窓際。日向。木陰。
ジャスミンの香り。
鬱屈した感情。
手の届かないものへの羨望。

美しいものの中に闇があれば、その美しさがより際立つと考えている。
完全な美しさよりも、不完全な美しさの方がより完全な美しさであると思う。

『君の膵臓を食べたい』住野よる

【根暗なクラスメイトくん】である「僕」と、クラスの人気者である桜良。
対極に位置する二人だったが、
一冊の「共病文庫」をきっかけにして
友達以上恋人未満な関係になり始める。
なぜ桜良が「僕」と恋人の関係まで踏み切らなかったのか。
「死ぬ前に恋人じゃないひとといけないことをし」たがったのか。
それは恋人という関係になってしまえば
それだけ大切な存在になってしまい、
お互いの傷が深くなるからだ。

遊びという訳でなく、彼女なりの自分と他人への気遣いだったのだろう。
あっさりあの世へ行って、
周りの人にはいつまでも悲しんでいて欲しくないという純粋な気持ちだったのだと思う。
彼女は「僕」を翻弄するようにからかい、しかし時折感情を隠しきれなくなる。
二人とも、大切な誰かという存在を作るのが怖かったのかもしれない。
今まで人とろくに関わりを持ってこなかった僕と、
たくさん人と関わってきたが繊細な桜良。
対極にある二人だが、その点では共通していた。
だから、病気という秘密を共有することが出来た。
「共病文庫」は、二人を繋ぎとめていた。
膵臓を食べて、君のような人間になりたい、
という意味を込めて「僕」はメールを送信した。
相手にお互い憧れは抱いていても、
お互い相手になることは出来ない。
それでも、気持ちを共有すること、
時間を共有することは出来た。
お互いの持っていないものを得ることが出来た。
「僕」は自己完結型、桜良は他者との繋がりの中で自分を見つけていく性格。

そんな二人の言葉遊び的なじゃれあいも面白かった。